1853年
嘉永6年
黒船、鎖国の扉を開く
ペリー率いる四隻の黒船の来航は、日米和親条約締結後に続く動乱劇の幕開けだった。
1859年
安政6年6月2日
横浜開港
通商条約に基づき横浜は開港し、外国貿易が始まった。
開港場以外での内外人の取引は禁止されいた為、開港場は産業革命の時代に入った欧米諸国の商人と、国内から集ってきた商人が交易する唯一の場となった。
最も有望な貿易品目は生糸であり、盛んな取引が繰り広げられた。
1864年
元治元年
貿易の舞台「居留地」の成立
居住と営業が許されるのは「開港場」の一区の場所に限られ、通常土地所有は許されてなかったが、外国人だけに土地が賞与される特定の場所の事は「居留地」と呼ばれた。
居留地で付与された山下町の番地は、現在もそのままの数字を踏襲されている。
当時から海岸通りは「海岸通り」と言われ、英語でTHE BUNDと呼ばれていた。
1870年
明治3年
日本初の洋式庭園「山手公園」オープン
居留外国人の専用公園として開園。
妙香寺境内約6千坪を貸渡し、彼らの自己資金でつくられた。
当時は、英国駐屯軍の演奏会やフラワーショーなどが行われていた。
日本で初めてテニスが行われた場所でもあり、園内には「テニス発祥記念館」がある。
1872年
明治5年
鉄道開業、ガス燈点灯
横浜・新橋間に開通。
開業式には明治天皇が出席し、5千人の見物客でにぎわった。
東京まで馬車を使って4時間かかった道のりが、わずか53分に短縮された。
また、日本初のガス燈が点灯された。
馬車道や本町通り付近に数十基が設置され、お祭りと見まがうくらいの見物人が集まった。
現在、復元されたガス燈を山下公園通りで見ることができる。
1876年
明治9年
「横浜公園」オープン
居留外国人の生活改善を求めた条約に基づいて現在の市庁舎隣に開園。
日本人にも開放されたため「彼我(ひが)公園」とも呼ばれていた。
公園内にあった平和球場は、横浜スタジアムの前身。
1889年
明治22年
横浜市誕生
横浜区138カ町が横浜市となった。
市制施行時の市域は5,4平方キロメートル。
人口は12万1千985人、戸数は2万7千209戸だった。
初代市長は横浜区長も務めた増田知(さとし)氏。
1923年
大正12年9月
関東大震災に襲われた横浜
マグニチュード7.9、震度6。
震源地は相模湾北西部。
山下町では洋館が一斉に倒壊。
防波堤は地中に沈み、灯台は水没して見えなくなった。
市内289カ所から発火し、その猛火は横浜市内をのみこんだ。
1927年
昭和2年
モダニズム建築の流行
震災復興建築は、欧米で流行したデザインやアール・デコなどに影響されたモダニズム建築が主流となった。
一方、明治・大正期を通して培われてきた様式建築のホテルニューグランド・日本郵船ビルなども建てられた。
公共建築物では、復興建築の中で最大規模の生糸検査場、キングの愛称を持つ県庁舎、クイーンの税関、ジャックの開港記念会館などがある。
1929年
昭和4年
洋行への玄関、横浜港
サンフランシスコ・シアトル・南米までの太平洋航路。
さらに欧州航路などの起点となった横浜港。
日本の玄関口の名にふさわしい豪華客船が並んでいた。
港からサンフランシスコ航路が出航する日には、東京から不定期列車までもが運行していた。
1930年
昭和5年3月
日本初の臨海都市公園「山下公園」オープン
震災後、対象4年から4年の歳月を費やされた後、開園。
波打ち際に捨てられていた焼土、元町百段の瓦礫、山下町の焼けた煉瓦などを埋め立てに利用。
市民の多くが荷車を引いて工事に参加した。
1935年
昭和10年
復興記念横浜大博覧館開かれる
震災の痛手を払拭し、横浜の復興と新たな都市づくりを祝うために山下公園で開催された。
横浜市民総数4.6倍もの人々が集まり、その数322万9千人。
様々な展示館が設けられたが、中でも鯨を泳がせた「生鯨館」が人気を呼んだ。
1945年
昭和20年
横浜大空襲、そして占領軍の横浜進駐
5月29日の大空襲で壊滅状態になった横浜。
約1万人の市民が猛火の中で死亡。
30万世帯が焼け出された。
終戦後、横浜は占領軍の日本上陸本拠地となった。
大桟橋などから米軍が上陸し、山下公園は軍服で溢れかえった。
関内地区と横浜港のほとんどが接収され、山下公園にも兵舎が立ち並んだ。
1960年
昭和35年10月
氷川丸引退
日本郵船シアトル航路の貨客船としてデビューした氷川丸(1万1,624総トン)は太平洋横断246回の記録を残し、30年に及ぶ歴史の幕を閉じた。
戦時中は病院船、敗戦後は引き揚げ船として活躍。
昭和28年に復帰した戦後日本唯一の外航定期客船。
現在は山下公園前の横浜港に係留されている。
1983年
昭和58年
「みなとみらい21」事業着工
21世紀に向けた都市臨海部総合整備事業。
国際性を軸にし、業務・文化・商業・レクリエーションなどの機能を持たせた新しい街づくりプラン。
国際文化都市・情報都市・人間環境都市を目指した。
1989年
平成元年
「横浜博覧会YES'89」開催、横浜ベイブリッジ開通
「みなとみらい地区」を会場にして、市制100周年・開港130周年を記念した大規模な博覧会が開催された。
同年9月「横浜ベイブリッジ」開通。
本牧埠頭と大黒埠頭を結んだ全長860mの自動車橋。
空中プロムナード・スカイウォークは、日本初の橋の遊歩道。
1990年
平成2年
山下公園リニューアル
横浜博覧会に合わせて、山下埠頭よりの東側が整備された。
6つの大陸へ延びる道をデザイン化した世界の広場、カスケードのある大階段、幾何学的な滝や水路などがつくられ、公園の新しい魅力となった。
2000年
平成12年
山下臨港線の撤去と再デビュー
山下公園に残っていた旧臨港線高架部分の撤去が終了。
13年夏からみなとみらい21地区・大桟橋・公園までが整備され、「港の景観を楽しめるビュースポット」の工事は年内に終了した。
2002年
平成14年3月
山下公園プロムナード完成
1997年に桜木町から新港までの廃線跡が遊歩道の「汽車道」として整備されていたことから、山下公園より西側に残されていた山下臨港線跡の高架については汽車道同様に遊歩道とされることになり、新港地区の新港橋梁から山下公園手前の高架までを「山下臨港線プロムナード」という遊歩道として直結された。
2005年
平成17年
横浜トリエンナーレ開催
横浜市で3年おきに開催される現代美術の国際展覧会「横浜トリエンナーレ2005」が、隣接する山下埠頭で開催。
一部のオブジェクトが山下公園内にも設置された。(2008年コンテナオブジェクト撤去)
2007年
平成19年2月
登録記念物に登録
日本の文化財保護法に基づき、文部科学大臣によって登録された、保存及び活用のための措置が特に必要とされる記念物として認定され、登録記念物に登録された。